第1章|確かなものが、何ひとつなかった
あの頃の僕には、
「確かなもの」と呼べるものが、何ひとつなかった。
タイ語は片言で、会話は途中で止まる。
頼れる知り合いは、たったの2人。
資金はギリギリ。事業経験はゼロ。
「自信です」と言える材料は、手元に何もなかった。
第1ブロック|過去・導入
バンコクの夜は、空気が重い。
湿気が肌に貼りついて、息を吸うたびに、身体の内側がじわっと熱くなる。
僕はそこで、店をやると決めていた。
物件を探して、鍵を受け取って、店の中に立った。
静かな空間だった。
まだ何も始まっていないのに、なぜか「遅れている」気がした。
怖かった。
でも、その怖さを言葉にすると、全部が崩れそうだった。
だから、頭の中ではいつも同じ言葉を繰り返していた。
「ここまで来た以上、引き返せない」
それは覚悟というより、
自分を前に押し出すための、乱暴な呪文みたいなものだった。
第2ブロック|葛藤・転換
現実は、想像より重かった。
しかも、重さは一つずつじゃなかった。重いものが同時に落ちてくる。
内装が進まない。
許可が降りない。
やっと雇った人が、理由も分からないまま辞める。
予定が崩れるたびに、呼吸が浅くなる。
家賃だけは、毎月きちんと引き落とされた。
何も生まれていないのに、数字だけが確実に減っていく。
通帳の残高を見るたび、胸の奥が冷たくなる。
夜になると、胃が痛んだ。
眠ろうとしても、頭の中がずっと動いていた。
「明日どうする」
「誰に何を言う」
「今月どこで耐える」
一番しんどかったのは、答えがないことだった。
努力の方向が合っているかも分からない。
どこを直せば景色が変わるのか、誰も教えてくれない。
何度か、日本に戻る選択肢が頭をよぎった。
その瞬間だけ、身体が軽くなる。
逃げ道を思いついたときの軽さって、こんなにも甘いんだと知った。
でも次に浮かんだのは、戻った先の自分だった。
「結局、何も変えられなかった」
そうやって自分を説明する未来だけは、やけに鮮明だった。
怖さは消えない。
自信も戻らない。
それでも、止まれなかった。
“止まる理由”より、
“止まった後に残る自分”のほうが、もっと怖かった。
第3ブロック|現在・暫定結論
今でも、あの時の感覚は残っている。
「確かなものがない場所で、判断し続ける」あの息苦しさ。
あの頃の僕は、前向きだったわけじゃない。
強かったわけでもない。
ただ、
分からないまま動き続けるしかない状況を、
自分の手で作ってしまっていた。
まだ答えは出ていない。
今はこの感覚を抱えたまま、次の章へ進んでいく。
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